めんたいこ日記

鯨井可菜子が短歌について書くところ

北山あさひの踊るテレビ局 その1・職場詠あつめ001

ことあるごとに北山あさひの短歌が好きだと公言しているが、

なかでも職場詠は、北山のよさが生きるジャンルだと思っている。

 

震度7震度7!」と叫んでる桜田そんな声が出るのか

これやばいこれはやばいよ日テレの独占だよってお前黙れよ

まひる野」2014年8月号「報道部にて」

 

札幌市内のテレビ局における2011年3月11日から14日までを詠んだこの連作で、

北山は第59回まひる野賞を受賞した。

前掲の2首では、震災という非日常によって発見された同僚の一面を題材としている。

「そんな声」が出た「桜田」は、ふだんはあいさつの声なども小さいのだろう。

災害時に興奮を隠せないテレビパーソンの業を伝えてくる。

 

こうした観察のみならず、連作には自分の身体感覚を詠んだ歌も出てくる。

一枚のFAX抱いて駆けて行く 字幕を作る 津波が来ると

訓練になかったこんな真っ暗で長い廊下がんばれがんばれ

津波という甚大な危険が迫っている。

一刻も早く字幕をテレビに映さなければならない。

文字通り「警鐘を鳴らす」仕事が、テレビの現場にはあるのだ。

 

行ったことはないのだけれど、テレビ局の廊下はきっと

入り組んでいたりものが置いてあったりして、見通しもよくないのだろう。

「こんな真っ暗で長い廊下」を息を切らせて走るなかで

下の句は必然的に破調になる。

 

「報道部にて」にはこのように〈観察〉と〈体感〉の両方が繰り返し現れ、

それが独特の臨場感につながっている。

 高揚する同僚を〈観察〉しつつ、自身の〈体感〉もまた高揚していたことを描き、

この作品で北山が言いたかったことはもちろん、

「自分は冷静で、周りが見えていた」ということではないはずだ。

 

その後の北山には数年間、大学病院の治験部門で働いていた時期がある。

ベーリンガー・インゲルハイム社うららかに入力マニュアルが役立たず

シクロホファミドの袋を御守りのように思いき素人であれば

息を吐き、吐ききりカルテは途絶えたりそこから先はあなただけの森

「短歌ホスピタル」*1 2015年「秋とALIVE」

 

1首目、2首目では製薬会社、薬剤などのカタカナの固有名詞を

積極的に定形に盛り込み、

〈素人〉の立場で見たものを率直に詠んでいる。

北山の当時の仕事は、2首目の結句で「素人であれば」と内省しているように

医療資格をともなう業務ではなく、患者と直接会うことはない。

しかし、3首目などに滲む「見えない患者」への心寄せが

連作の魅力を下支えしていることには注目したい。

 

人は職業に「やりがい」「自己実現」といったものを求めたがるが、

それはある種の虚飾や欺瞞なのかもしれない。

北山は「この仕事を選び取ったわたし」をべたべたと語ったりはせず、

職場という小さな社会を淡々と、切れ味よく描写し続ける。

だからこそ、「自分の持ち場で真剣に働き、お金を稼ぐこと」の尊さが、

逆説的に浮かび上がってくるように思う。

 

年末に最新のネットプリントを入手したので、のちほど続きを書きます。

 

北山さんのブログはこちら

北山あさひのぷかぷかぷー

 

*本稿は「六花」vol.2(六花書林、2017)に寄稿した「怯むことなくー北山あさひ論」をベースに加筆修正しました。

六花 vol.2

六花 vol.2

 

 

*1:鯨井可菜子・山崎聡子が企画し、医療の現場に身をおく7人の歌人たちに作品を依頼して制作した1回限りの短歌雑誌。短歌作品のほか、エッセイや精神科医2人による対談、Q&Aコーナー、評論を収録。執筆者は以下(肩書は当時):小原和(薬学生)、小原奈実(医学生)、北山あさひ(大学病院治験部門勤務)、香村かな(看護師)、田丸まひる精神科医)、土岐友浩(精神科医)、龍翔(臨床心理士