めんたいこ日記

鯨井可菜子が短歌について書くところ

北山あさひの踊るテレビ局 その2・職場詠あつめ002

前回、北山あさひの職場詠(テレビ局/大学病院治験部門)について書いた。

kujirai-kanako.hatenablog.com

 

昨年末、北山が1年間の「まひる野」掲載歌などを集めたネットプリント「忘年会」を出したので入手した。

9月に起こった胆振東部地震が記憶に新しく、地震発生時のテレビ局を題材にした歌がいくつかある。いい歌だと感じたのち、「いい歌」として鑑賞していいのか迷ったが、2首取り上げる。

ぐらぐらと揺さぶられつつなんでかな半笑いの中腰でわたくし

揺れていますスタジオも今揺れています揺れてもきみは喋り続けよ

「火の車」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)

前回の記事で、連作「報道部にて」に登場する〈観察〉と〈体感〉について書いたが、前掲の1首目は〈体感〉の歌である。突然の揺れに襲われた自分が、とっさに「走って逃げる」「何かの下に隠れる」といった避難行動を取ることができなかったことを詠んでいる。驚きや戸惑いは「半笑い」となって現れ、身体のほうは立つでも座るでもなく「中腰」で固まってしまった。感情・身体のいずれも〈途中〉でポーズ(PAUSE)していることを描くことで、揺れの瞬間をうまく伝えていると思う。

 2首目は〈観察〉に基づく歌。地震のニュースを伝えている最中にも余震に襲われるが、揺れていてもアナウンサーは喋り続けければならない使命がある、とひとまず読むことができる。この歌は意味としては上の句がアナウンサーのセリフで、下の句は地の文(便宜上、本人のセリフとする)に分かれるのだが、実際に読み下すときは、以下の青字の部分から突然、声が変わる感じがしないだろうか。

揺れていますスタジオも今揺れています揺れてもきみは喋り続けよ

 上の句はアナウンサーのセリフだとわかることから、揺れを感じながらもつとめて冷静に伝えようとする平板かつ均一なトーンで(さらに画面の向こうから)脳内に再生されるのだが、「きみは」以降、太い、感情のある肉声が耳元で聞こえて、びっくりする。

 

職場詠とはすこしずれるが、北山の歌は、「大きい道路を歩いていたら突然交差点が現れて曲がる」「材質が突然変わる」みたいな変化がいきなり起こることがあるのだが、これもその仲間だなと感じた。

夕焼けて小さき鳥の帰りゆくあれは妹に貸した一万円

「短歌研究」2014年9月号(第57回短歌研究新人賞候補作「グッドラック廃屋」)

蝦夷松のあそこに私のたましいがひっかかってるけどそれでいい

カニと餃子」『ヘペレの会 活動報告書vol.1』(2018年)

 

このネットプリント「忘年会」の末尾2ページ半にわたって掲載されていたのが、書き下ろしエッセイ「胆振東部地震の日のこと」である。自分の勤務先がテレビ局であり、仕事が時間計算係(ルビ:タイムキーパー)であることを紹介したうえで、地震発生時のテレビ局の時々刻々を、するどい人物描写とともに伝えていく。終盤の一部を引用したい。

こういうとき、テレビ局というのはひとつの島みたいだと思う。現実の惨状とは切り離されて、高揚し、一体となり、溌剌としている、奇妙な島。

北山あさひ「胆振東部地震の日のこと」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)

 

このあと北山は、停電している家に帰宅したところまでを伝え、「短歌を読みたいとか作りたいとかは、一秒も思わなかった。」と結んでいる。

 

うう。長くなってしまったので3つめの記事に続きを書きます。

 

*「いきなり曲がる」感じについては、平岡直子さんが「日々のクオリア」で北山さんの歌を取り上げた際、冒頭で書いていたことが、近いのかもしれない感じました(くわしくは下記リンクで)。

歌にバックドアがあるような不思議な感覚にとらわれる一首。入り口以外の出入口があり、そこからはこの歌以前にはみえなかった景色がみえる。

平岡直子「日々のクオリア」(2018.10.3)砂子屋書房ホームページ

sunagoya.com