北山あさひの踊るテレビ局 その3(余談)・職場詠あつめ003
北山の職場詠について2本書いた。残りは、「忘年会」の歌を引いたうえで、すこし余談。
一生の仕事ではなく、だとしたら途中から樹になっていいかな
北山あさひ「アイスコーヒー」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)
前の記事で北山の歌が「途中で曲がる」話をしたけど、今度は「途中から樹に」なっちゃったよ。というのは置いておいて。
「一生の仕事ではなく、」という初句から、反対側にある「一生の仕事」が浮かび上がる。「一生の仕事」とは何だろうか。ものすごく勉強して免許を得て行う仕事や、代々の家業を継ぐ運命にある人、などを想像した。「一生の仕事」と決めて働くひともいるかもしれないけれど、「一生の仕事」に就いているほうが偉いと(さらに言えば、「自分にしかできない仕事」を目指すべきだと)、だれが決めたのだろう。そんな気持ちが滲んでくる一首である。だったらもう人間もやめて樹になっちゃいますけど、というあっけらかんとした宣言は、やけくそなのにすがすがしい。
北山には大学病院で働いていた期間があり、その時期の歌について前の記事で紹介した。人が職を変わることはごく当たり前のことだ。ただ、通り過ぎた職であっても、その後、その人が短歌を作るときに、かつて得た知識や感覚が生かされることもあるのだと私は思う。それはとても豊かなことではないだろうか。
シムビコートタービュヘイラー吸いながら咲けと願う冬の気管支
(ルビ 咲け=ひらけ)
北山あさひ「銀メダル」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)
シムビコートタービュヘイラーとは、喘息治療に使われる吸入薬の商品名。喘息の症状は気管支が炎症をきたして狭窄することで起こる。寒くて咳が出て辛い日に、気管支が広がることを願いながら吸入薬を吸っている。二句目までを貫くシムビコートタービュヘイラーの響き、喘息で喉がヒューヒューと鳴るときの苦しさを思い起こさせはしないか。ちょっと苦しくなってきた(喘息経験者)。
北山は弾性のあるカタカナの固有名詞を定形に突っ込むのがうまいので(ジャン=ポール・エヴァンとか)、薬の名前をたくさん入力していた前職の経験がなくても、患者としてこの薬に出会ったときに歌にしていたかもしれない。でも私はこの歌に出会ったときに、やはり、職歴と短歌の語彙の関係を思わずにはいられなかった。
職場詠は「この職業についた生き方」を歌い上げるものとは限らない。
私は職場詠を読むことが好きだけれど、職場詠をあつめるうえでの興味は「◯◯さんは✕✕の仕事に就いているんだなあ」ということではない、ということを、この場を借りて書いておきます。
超余談。シムビコートタービュヘイラーにはブデソニドというステロイドが配合されている。北山が「短歌ホスピタル」の巻頭に寄せたエッセイ「医療の仕事の楽しみ方」に、薬の名前を擬人化したRPG風ストーリーが出てくるのだけど、ブデソニドは〈ステロイド王国の若き王子〉として登場したプレドニゾロンの、従兄弟かもしれないな、と思った。