めんたいこ日記

鯨井可菜子が短歌について書くところ

黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』評/〈欠落〉と〈余剰〉にみる父性

f:id:kujirai_kanako:20210201012640j:image黒瀬珂瀾さんの歌集『ひかりの針がうたふ』(書肆侃侃房)を読みました。ちぎった紙で波を表現した装丁が素敵です(山階基さんによるもの)。

私が福岡にいるときにとてもお世話になった、からんさん。私が福岡を離れ、その後からんさんも離れ、だいぶ時間がたった今、まるっと福岡在住時の歌集が出たことにびっくりしました。以下、大まかに2つのテーマで歌を引いていきたいと思います。

 

ひかりの針がうたふ (現代歌人シリーズ31)

ひかりの針がうたふ (現代歌人シリーズ31)

  • 作者:黒瀬珂瀾
  • 発売日: 2021/01/24
  • メディア: 単行本
 

 


父性を詠う〜〈欠落〉と〈余剰〉

乳児を育てる父としての歌をまず引きます(以下、冒頭の数字は掲載ページです)。

 

024 『どうぶつのおやこ』の親はなべて母 乳欲る吾児を宥めあぐねて

085 おつぱいがかたい、と泣きて寝入りたり父の臀部を揉みしだきつつ


これらの歌で詠われるのは〈欠落〉。父である自分が〈乳をやる機能〉をもたないことにフォーカスしています。子育てに主体的にかかわっている姿がたくさん登場するからこそ、まずそこに目がいきました。

 

070 産めやしない、産めはしないがアメジスト輝け五月なる疾風に

106 飛鯊(ルビ:とびはぜ)は夕陽へ逃げて朽網川(ルビ:くさみがは)しづかなりわれは母になれぬを

107 妻と児を待つ交差点 孕みえぬ男たること申し訳なし

 

これらはもっと直接的に、自らに〈産む機能〉がないことを述べています。3首目では結句で「申し訳なし」とまで言うのですが、「交差点」の語が示唆的。運命が偶然に交差して妻と子と出会ったようにも、妻と自分が入れ替わりうる存在であるとも読めます。


061 俺にぶら下がるもの指して「うんこでた」。さうだ、捨てたき時もある、これ

 

乳房をもたないという〈欠落〉に対し、こちらでは「ぶら下がるもの」「さうだ、捨てたき時もある」と述べています。「男らしさ」にまつわる煩わしさを「捨てたき時」もあるということに加えて、これは〈余剰〉という捉え方もできないでしょうか。

親として、必要なものがついていなくて、いらないものがついている。〈父たる我〉に対するそんな捉え方が印象的でした。

 

073 児は歌ふ「ちひさいひごひはおとうさん」いかにも父は風に揺らぐよ

093 乳母ならぬ身も乳母車押しながら時に覗きつ息はあるかと

 

1首目は、「こいのぼり」の歌詞を間違えている子どもの様子。本来は「おおきいまごいはおとうさん」なのですね。下の句には、「いかにも父は風に揺らぐよ」と、「大黒柱っぽくない私」をあえて受け入れる姿があります。

2首目は、これまでも詠ってきた〈乳〉へのこだわりと絡めて、ベビーカーをあえて古風に呼ぶことによるレトリックが光ります。ここで描かれるのは、静かに眠っている子どもがちゃんと息をしているか、そっと確かめるという行為。〈父〉も〈母〉も、乳児という脆い命を守る存在には変わらないのです。

 

101 秋の陽は求菩提(ルビ:くぼて)の峰を光らせて母になれねば父となるなり

117 保育所の扉ひらけば埠頭へと舟寄るごとくわが脚に着く

 

求菩提山(くぼてさん)」は、福岡県豊前市にある修験道の山。前掲の「飛鯊は夕陽へ逃げて朽網川しづかなりわれは母になれぬを」と同じように、上の句に九州の風土を写し取り、下の句に心情を述べるという形式の歌です。秋の日差しに包まれる山の稜線を見つめて、「母になれねば」“その代わりに”「父となる」という把握が詠われています。

一方で、2首目で私は「埠頭」に注目しました。保育所に迎えに行った自分の脚に、かけよってきた我が子の様子を「埠頭」に舟が寄り付くさまに例えています。これは自らが仕事で乗っている舟と重ね合わせているのですが、「埠頭」たりうるのは、父という体躯があってこそではないか、と思うのです。


九州の風土を詠う〜過客ならではの視線

もうひとつ注目したいのが、九州の風土が豊富に詠われていることです。

なかでも印象的なのは仕事に関連する〈水辺〉の歌。

 

084 室見川海にひろぎて夕照を徒歩(ルビ:かち)にてわたる男の影よ

088 波去りて八月尽の能古の影にしづみ来たりぬ秋のひかりは

 

水辺の光が印象的な2首を挙げました。1首目の室見川(むろみがわ)」は福岡市の西部を流れて博多湾にそそぐ川。椎名林檎さんの「正しい街」の歌詞にも登場します。たっぷりと輝く河口の景に「男の影」が絵画のように映えて、岩波書店のロゴの「種まく人」を連想しました(あれは水辺じゃなくて畑だけれど…)。

2首目に詠われる「能古の影」は、博多湾に浮かぶ能古島(のこのしま)」の島影を指します。信じられないことに市営船で10分で着いちゃう島。都会にものすごく近い分、福岡の海辺の景色でかなりの存在感を占めています。内海であるおだやかな博多湾に「秋のひかり」が静かに満ちている様子が美しい歌です。

 

074 みづくらげただよふ博多湾の朝流されてゆく世間の方へ

ふらふらと「世間の方へ」流されていく「みづくらげ」の姿に批評性があります。軽めのレトリックのようですが、陸地にぐるりと囲まれた博多湾の特殊な形は、閉塞感をも暗示しています。


105 玄界灘PM2.5にかすむ 母国はありて父国はあらぬ

123 これうみにうごくと?と指さす川に青鷺はいま魚を呑みぬ

 

1首目は、前述してきたような〈母〉に対する〈父〉の欠落・不足を詠んでいますが、ここで地域性を感じるのはPM2.5です。この地では、海の向こうからやってくる黄砂やPM2.5が悩みの種(とくに春の黄砂はすごい)。雄大玄界灘は、過去も今も、大陸からいろいろなものを運んでくる海なのです(補足すると、博多湾があって、志賀島とを繋ぐ細い陸地があって、その外側が玄界灘)。

2首目は、川の水が「うみにうごく」という幼児のみずみずしい感受性を詠んでいますが、覚えたてのことばとして博多弁の語尾「と?」が出てくることに胸を掴まれます。おそらく父母は博多弁ネイティブではないでしょうから、社会的に(保育園などで)輸入してきた語彙なのだと思います*1

 

私自身は東京在住時に歌を初め、その後地元福岡に戻り、3年間暮らしました。が、あまり自作には地名やら何やら、登場しないのですよね(ゼロではないけど)。

この歌集の最後の章タイトルは「九州を去る」。自分は過客であるという意識が、このように彩り豊かな土地の歌を残したのかもしれません。

 

 

この歌集の歌はおそらく2010年代前半のもので、震災からあまり時間がたっていない時間軸。北九州市での瓦礫の受け入れや、自身が参加した相馬市での除染作業についても触れられています。2首だけ引いておきます。


035 線量を見むと瓦礫を崩すとき泥に染まりしキティ落ち来ぬ

084 サーベイヤー構へてをれば「放射能ですか」と問へり水着の人は

 

1首目、被災地から受け入れた瓦礫から「泥に染まりしキティ」がぽとりと落ちます。瓦礫はまぎれもなく生活の跡であり、人の思いが残るものであるということを、このキティは雄弁に語るのです。

そして、当時の九州にあった被災地との「温度差」を突きつけてくる2首目。「水着の人」の呑気さ、他人事感(もしくは逆に過剰な心配)が刺さります。

 

 

2012年秋、からんさんと私を中心に福岡歌会(仮)という歌会が始まりました。当時の参加者の作品をまとめた「福岡歌会(仮)アンソロジー」という冊子(2013)から、恥ずかしながら拙文(編集後記)を引用します。

 

 勢いで、気になっていたことを尋ねてみる。「福岡なんて地方に来るの、嫌じゃなかったんですか」。思いのほか、答えはおおらかで前向きなものだった。「ジャーナリスティックになりすぎずに、自分のやりたいことをじっくりやれる環境だと思う。それに、その土地にはその土地の叙情があるものですよ」。だいたいそんなようなことを、珂瀾さんは語った。わたしは東京で短歌を始め、仕事の都合で福岡に戻ってきていた。以来ずっと中央をうらやみ、うじうじと悩んだりいじけたりしてきたのだった。抱え続けてきた暗い塊のようなものが、ゆっくりと氷解していくのを感じた。ああ、ここまでくるのにわたしは二年半もかかってしまったんだ。琥珀色のビールはさっぱりと苦く、麦のよい香りがした。

『福岡歌会(仮)アンソロジー』(2013) P.28-29 編集後記「ブルックリンラガーの秋」(鯨井可菜子)

 

「その土地にはその土地の叙情がある」。その言葉は長らく私を支えてくれましたが、2021年に出たこの『ひかりの針がうたふ』という歌集が、ほんとうの意味で私にそのことを教えてくれたような気がします。

 

…さて、飲み会の思い出を書くと台無しになってしまうので、このあたりで(ぜんぶ楽しかったんよ!)。またいっしょに赤煉瓦文化館で歌を詠んで、みんなでごまさばを食べて焼酎を飲める日が来たらいいな、と思っています。

*1:私自身、幼稚園のときに覚えてきた言葉で母をびっくりさせていました。「○○げな〜」という言い回しなど(○○なんだって〜、○○らしいよ〜という意味。古語の影を感じる)