めんたいこ日記

鯨井可菜子が短歌について書くところ

無色の焔と、消えない星〜第66回まひる野賞受賞作品 佐巻理奈子「職を失う(原題:スター)」に寄せて

歌友の佐巻理奈子さんが、所属の「まひる野」で第66回まひる野賞を受賞されました。なこちゃん、本当におめでとう!

まひる野」に掲載の作品を読ませていただいて、とってもよかったので、少しだけ感想を書きたいと思います。(以下、である調)。

 

 

ティッシュに託されたもの〜職場を離れるということ

有休の十五日間のプレ無職経て無職へとなりたるわたし
補助業務の補助はどこまでだったでしょう 五時のチャイムの響く薄明

1首目は連作の冒頭に置かれた歌。これにより、はっきり「何が起こったのか」「この連作のテーマが何なのか」が伝わる。「無職」という言葉は、とても重い。でも、有給休暇の消化について「プレ無職」と軽い言い方をしてみることで、自らの心を支えようという姿も見えてくる。

そして、自分の担っていた「補助業務」について思いを巡らせる2首目。やる気があったりよく気がづいたりする人は、気づけば「補助」の範疇を超えてその職場を支えていることがある。「どこまでだったでしょう」という穏やかな口語での自問自答が、あいまいな夕方の光に紛れて、やっぱり答えは見いだせない。

 

Kさんにあげた残りの箱ティッシュそろそろ次の箱になるころ

退職にあたり、同僚の「Kさん」に「残りの箱ティッシュ」を「残ってるから、よかったら使って」と譲ったのだろう。でも時間がたてばその箱も空になり、「そろそろ次の箱になるころ」だろうと思っている。「残りの箱ティッシュ」が空になって捨てられるとき、その職場にいた「わたし」が本当に居なくなるようだ。去らなければならなかった職場に、「わたし」がいなくなっても時間は過ぎてゆく。平熱の歌いぶりであっても、その痛みはたしかに読者に手渡される。

 

「会社都合退職です」と言うときのそれでも雨飲むような喉よ
※ルビ:「喉」=「のみど」
この前にはハローワークでの場面を歌った歌が続くので、その窓口での会話だろうか。「会社都合」と「自己都合」では受けられる雇用保険の給付内容が変わってくる。「それでも」、雨を飲むような苦しさは変わらない。初句では、窓口で、感じよさを保ちつつある程度明るい声を出しているのだろうと思う。だからこそ下の句の苦しさが浮き立つ。

 

北国に暮らす人の語彙

雪泥に汚れた橋に彫られたる鮭追い越してまもなく日暮れ

この歌は、歩いて橋を渡っている場面。川と「鮭」という組み合わせは「力強い遡上」を思わせるが、その鮭を追い抜いてゆく確かな足取りがある。「鮭」もまた北海道ど真ん中の語彙だけれど、「雪泥」もまた、北国の生活に根ざしている言葉だと思う。もちろん、九州に育った私自身はこの語彙を持っていない。

ここで詠まれているのは、橋の欄干の装飾としての「鮭」だ。それに目をとめてしっかり描写しているのもすごくいいなと思う。

 

白鳥はあんまりおいしくないと知りスマホを消して眠りにつけり

寝入りばなに布団の中で、ふと変なことを検索してしまい、一応の答えを得たので眠りについた、そんな風に読める。初句に登場した「白鳥」が堂々の「北国性」を帯びていながら、「あんまりおいしくない」という意外性のある展開につながるのが面白い。が、私はつい、最近一気読みした「ゴールデンカムイ」の一節を想像したのだった。そう考えると、もしかしたらスマートフォン電子書籍を読んでいたのかもしれない。

 

暗がりの揺らめく底に沈みたる金貨いつまでも祈りが残る
続いて置かれた歌は、眠りに落ちてゆくような心地よさがある。(…これもゴールデンカムイかもしれないな…?)

 

生命力を「視る」

とろとろと灰汁をとるなり開口の浅蜊のたましい浮かぶあたりを

けやきから無色の焔あふれだしだれも気づかず燃え尽きていく

煮える鍋に浮かぶ「浅蜊のたましい」、街路樹の「けやき」にあふれる「無職の焔」。佐巻さんには、これらを「視る」力があるのだと思う。見過ごされて燃え尽きてゆくことは、顧みられることなく職場を去る自らの姿とも重なる。でもその歌いぶりは、あくまでもやわらかい。

 

吸い上げる分だけ上へ伸びていく豆苗みたいに美しくなる

縛られたまま咲きあふる連翹のやりっぱなしのやられっぱなし

ここで出てくる豆苗は、スーパーで買って、一度食べたあとに根っこをもう一度水につけて育てているものだろう。台所で光る、透き通った白い茎。そのように素直にたくましくありたいという願いも込められている。その生命力への憧れは2首目にも感じられる。縛られていてもなお、エネルギーをほとばしらせて、黄色い花を咲かせまくっている連翹。「やりっぱなしのやられっぱなし」は、やけくそっぽいけどどこか明るい。

 

原題の「スター」について

1人の読者として、原題の「スター」を私はとても素敵だと思う。

掲載された受賞作には含まれない歌だが、佐巻さんに教えてもらったので個人的に鑑賞したい(ご本人に許可を頂いています)。

 

野良猫の「スター」の腹の横の傷 いちどだけやってしまった猫缶

「野良猫」には誰かがつけた「スター」という名があった。寄る辺ない野良猫への共感、いけないと知りつつも猫缶を「やってしまった」ことへの自省などが、この歌にはこめられている。


佐巻さんはなぜ、「スター」をタイトルに掲げたのか。

それはこの一連にある〈祈り〉を大きくまとめる言葉だからではないだろうか。

職を失ったこと自体は、冒頭の1首のように、自ら歌にすることで昇華し、乗り越えたいという姿勢がある。つらくとも「スター」の光を見失わず、しっかり歩いていきたいという意思が、この一連をやさしく照らしていると思うのだ。

そう願う心がある限り、「スター」の光は決して消えない。

 

落ち着いたら、落ち着いたらと約束をかさねて編んで一年のこと

※ルビ:「一年」=「ひととせ」

「感染が落ち着いたらご飯行きましょうね」といった類の約束が、どれだけ交わされてきたのだろう。「かさねて編んで」という動詞に、いつになるかはわからない、でも“ぜったい”、という祈りが込められている。

 

 

なこちゃん、改めておめでとう。「落ち着いたら」一緒においしいもの食べようね、ぜったい!