めんたいこ日記

鯨井可菜子が短歌について書くところ

前に進むために/短歌研究2023年4月号特集「短歌の場でのハラスメントを考える」に関して

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※鯨井個人の文責によるものです。

 

4月22日土曜日、駅前商店街のガストに腰を落ち着け、私はようやくそれを読むことに取り掛かりました。

「短歌研究」2023年4月号特集「短歌におけるハラスメントを考える」です。

もう我が家には、自分も寄稿した5・6月合併号が届いており、もちろん4月号も1か月前に同様に届いていて、家の中の手の届く場所にありました。

でも今日に至るまで、読むことができませんでした。振り返り、そのことを夫を相手に話していると泣いてしまうなど、あまりよい試みにはならなかったらです。こんなに長い間向き合えなかったことに、寄稿者のみなさんにはとても申し訳なく思います。どうしていつまでもダメージを引きずっているのかわからず、誰かをやはり傷つけてしまったのかと思いどうすればよいかわからず、それでも1月、2月に過ごしてきた過酷な時間を自分のなかでどう位置づけたらよいかわからないまま、今に至ります(実際には、ものすごく稼働しています)。

 

通りを見下ろす窓際の席で、ずるずると涙を流しながらたくさんの文章、作品を読み、ぬるくなったカフェラテを飲み下しました。

 

我々が予定通りの形でかかわっていても別に何も起こらなかったのかもしれないと、今なら思います。でも、あの時点で、他の選択肢はありませんでした。メンバー間には信頼があり、互いにケアできたことがだけが救いでした。昨年末のキックオフの時点でそれぞれの内省と「自分たちの心を守りながら」ということ確認しあっており、その指針がギリギリのところで守れたような、守れなかったような、というところです。

 

私個人は、さして長くはない歌歴のなかで複数の具体例を身近に見聞きしており、数年前には歌会の運営メンバーの1人として具体的な問題に対処した経験があり、同時に、10年ほど前にしてしまった異性の歌人仲間に対する言動を深く反省しています。もっとさかのぼると高校の部活動で顧問によるセクハラを受け心療内科にかかりました(今回、誌面に出る前のたくさんの体験談に触れたことも、あまりよくなかったかもしれません)。昨年担当した同誌の時評では、件の新人賞選考座談会における問題を指摘しています。

ですので、私にとって、短歌の場におけるハラスメントをなくしたいという願いは本心からのもので、ぜったいに必要なことだと思って参加しました。その判断は間違っていなかったと思います。

本特集へのかかわりについて早い段階から指弾されたことはとてもつらいことでした。歌友をすべて失ったような気持ちでした*1。寄稿者の方々には、そのようななかで執筆してくださったことに感謝しかありません*2。編集部には、編集方針に関するお願いを聞き入れていただき、ありがたく思っております。実際にたくさんの「声」が束ねられ、雑誌として世に出たことに、意義があるとまずは信じたいです。いろいろな人の手で、あらゆるやりかたで槌を振り下ろしていくからこそで少しずつ何かが変わる、前に進めると願っています(もちろん、これが最初の一撃ではないということは周知の通りかと思います)。

 

ドリンクバーでアメリカンコーヒーをもらってきて、小さなパフェを追加注文しました。

結局のところ、私の弱さが問題なのです。もうずっと短歌のことを考えたくなくて、友人知人の歌集も読めず、Twitterを3か月放置し、ほうぼうに酷い不義理を重ね、とにかく停滞し続けていたのですが、私自身が前に進むために、文章にしておきたいと思いました。

一読者として、この特集が読めてよかったです。そしてともに心を砕いた大切な仲間に、改めてありがとうと伝えたいです。

 

冷凍ベリーが載ったパフェは、ひんやりとすっぱく、おいしかったです。

 

(何かを掘り返したい意図はありませんので、どうかそっとこのまま、画面を閉じてくださいますように。)

 

 

*1:実際に心を寄せてくれた友人はおり、そうではないと頭ではわかっていたのですが

*2:しかるべき方法で事情をご説明しています