めんたいこ日記

鯨井可菜子が短歌について書くところ

水上芙季の霞が関詠 職場詠あつめ004

セリフの鮮度

水上芙季は「コスモス」に所属している。第二歌集『水底の月』のあとがきによれば、水上は厚生労働省の非常勤職員であるという。『水底の月』ではその厚労省を舞台にした職場詠が魅力的だ。

「入口に狂犬病のポスターが貼ってあるから、そこがうちの課」

「生きてる?」が「おつかれさま」の代はりなり一番多忙な健康局は

「病原体です」と名乗つて席につく病原体等管理係われ

『水底の月』(柊書房、2016)

定型に封じ込められているセリフの鮮度に注目した。かぎ括弧の中身はそれぞれ、仕事中に同僚や自分が発した一瞬一瞬のセリフを切り取ったものだろう。

1首目、正確には狂犬病ワクチン接種の啓発ポスターのことを指しているのだろう。確かに役所の廊下や部屋は見分けがつきづらく、掲示物などを目印にしているのだろうということが想像できる。新しい課で働くことになった際に受けた説明をそのまま切り取っているが、「狂犬病」という強烈な言葉が、新しい仕事への興味(と不安)を掻き立てる。

2首目、国民の健康を取り扱う「健康局」で働く人々が、健康どころではない忙しさにあるという皮肉を捉えている。

3首目は思わず笑ってしまったのだが、これも「狂犬病」と同じく職場で言葉の省略が起きているために、部署をまたいだ会議で「病原体」と名乗るシュールさを詠んでいる。

 

〈真顔〉ゆえのシュールさ

これらの歌を読むとき、官庁という舞台設定もあいまって、目に浮かぶのは働く人々の〈真顔〉である。このような〈真顔〉は、第一歌集『静かの海』にも文部科学省での職場詠として見られるものだ。

何回も「子供0・5人」とふ言葉でてくる男女課会議        

『静かの海』(柊書房、2010)

 

官庁という四角張った職場で、人々はあくまでも〈真顔〉を崩さず大真面目に働いている。前掲歌の「子供0.5人」という言葉も、舞台が「男女課」であることを手がかりにすれば、男女共同参画に関する会議において、どうすれば出生率が上がるのか議論していることがわかる。しかし大真面目であればあるほど、そのシュールさが際立ってしまうのだ。

このような場面描写の数々は、作者が周囲への観察を絶やさず、ちょっとした違和を敏感にキャッチする中で浮かび上がったものだ。そのおもしろさが、水上の〈霞が関詠〉の特徴の1つであると思う。

 

 

コスモスの結社内同人誌「COCOON」に掲載された最近の作品から。

あしたのジョーみたいに頭垂れ眠る昼休憩の予算係長

(ルビ:頭=かうべ)

「耳の淵」 「COCOON」10号(2018)

 

省庁において予算に関わる仕事というのは、ここまで人を消耗させるものなのか。否応でも「燃え尽きたぜ…真っ白にな…」の絵が浮かぶが、まだ「昼休憩」つまり午前中の時点でこの疲れようであること、さらに「係長」という職位からは調整や実務の苦労がうかがえ、「あしたのジョー」一発勝負ではなく歌を読むための情報がちゃんと配置されていることにも注目したい。

 

*本稿は「歌壇」2016年12月号に寄せた『水底の月』書評「〈真顔〉の職場詠」をベースに加筆修正しました。