めんたいこ日記

鯨井可菜子が短歌について書くところ

「私が好きな北山あさひの歌」〜ゆかりの歌人31名によるお祝い一首評企画

ひさしぶりにブログを書きます。今年せっかく評を書くブログを作ったのに、その後、いきなり推しができてしまい人生が変わりオタクブログを作りそればっか書いてました(既に記事が数千字×50本以上あります…)

しかしこれは一大事です。私の短歌における最推し、北山あさひが第7回現代短歌社賞を受賞した…!!

 

 

 

ということで、まひる野の佐巻理奈子さんと以下の企画をまとめました!

 

 

第7回現代短歌社賞受賞記念 有志によるお祝い一首評企画

「私が好きな北山あさひの歌」

*北山あさひゆかりの歌人31人によるお祝い一首評をまとめたものです

 

寄稿者一覧(敬称略、原稿到着順)

島田修三

塚田千束

曽我玲子

平岡直子

佐巻理奈子

山川 藍

山田 航

矢澤 保

大下一真

富田睦子

染野太朗

樋口智子

広澤治子

永井 祐

木部海帆

高橋千恵

後藤由紀恵

遠藤由季

小原  和

麻生由美

狩峰隆希

沼尻つた子

山崎聡子

田口綾子

広坂早苗

鯨井可菜子

齋藤芳生

鶴田伊津

山中千瀬

岸野亜紗子

田村 元

 

入手方法はセブンイレブンネットプリントGoogleドライブのリンクをご用意していますが、ここではリンクのみご案内します。

 

A4縦書きのPDF(12枚)です。プリントの際はそのまま右肩をホチキスで止めてくださいませ。

 

受賞の知らせが舞い込んだ翌日、札幌のなこちゃん(佐巻さん)から「何かしたいですね!」とLINEをもらい、あっという間にこの企画ができあがりました。

 

あまり語っても野暮なのでこれくらいにしておきますが、とにかく、結社内外にお声がけして寄稿いただいた200字の評がどれもすごいので、ぜひ読んでいただきたいです。

 

ジンギスカンクラフトビールとはしごしてみんな北山あさひが好きで/田村元
「現代短歌」2019年11月号

 

あの夏の夜、札幌でクラフトビールを飲みながらみんな*1で語り合ったことが現実になりました。

北山さん、信じてました。本当におめでとうございます。

 

 

f:id:kujirai_kanako:20191126212310j:image

これを今日、あらかじめ書いてあったのですが、まさかの事態で授賞式で突発的にスピーチで当たり、喋りました。お察しの通り早口のオタクになりました。

 

…スピーチの最後に、前述の札幌の夏の思い出を語ったのですが、そのあと北山さんにジンギスカン屋から移動するときに、首からエプロン付けっぱなしだったよね」って言われた。そうだった私、酔っ払って、夏のススキノをジンギスカン屋のエプロンをたなびかせて歩いてたんだったわ。すっかり忘れてた。

 

 

*1:全員、寄稿しています!

水上芙季の霞が関詠 職場詠あつめ004

セリフの鮮度

水上芙季は「コスモス」に所属している。第二歌集『水底の月』のあとがきによれば、水上は厚生労働省の非常勤職員であるという。『水底の月』ではその厚労省を舞台にした職場詠が魅力的だ。

「入口に狂犬病のポスターが貼ってあるから、そこがうちの課」

「生きてる?」が「おつかれさま」の代はりなり一番多忙な健康局は

「病原体です」と名乗つて席につく病原体等管理係われ

『水底の月』(柊書房、2016)

定型に封じ込められているセリフの鮮度に注目した。かぎ括弧の中身はそれぞれ、仕事中に同僚や自分が発した一瞬一瞬のセリフを切り取ったものだろう。

1首目、正確には狂犬病ワクチン接種の啓発ポスターのことを指しているのだろう。確かに役所の廊下や部屋は見分けがつきづらく、掲示物などを目印にしているのだろうということが想像できる。新しい課で働くことになった際に受けた説明をそのまま切り取っているが、「狂犬病」という強烈な言葉が、新しい仕事への興味(と不安)を掻き立てる。

2首目、国民の健康を取り扱う「健康局」で働く人々が、健康どころではない忙しさにあるという皮肉を捉えている。

3首目は思わず笑ってしまったのだが、これも「狂犬病」と同じく職場で言葉の省略が起きているために、部署をまたいだ会議で「病原体」と名乗るシュールさを詠んでいる。

 

〈真顔〉ゆえのシュールさ

これらの歌を読むとき、官庁という舞台設定もあいまって、目に浮かぶのは働く人々の〈真顔〉である。このような〈真顔〉は、第一歌集『静かの海』にも文部科学省での職場詠として見られるものだ。

何回も「子供0・5人」とふ言葉でてくる男女課会議        

『静かの海』(柊書房、2010)

 

官庁という四角張った職場で、人々はあくまでも〈真顔〉を崩さず大真面目に働いている。前掲歌の「子供0.5人」という言葉も、舞台が「男女課」であることを手がかりにすれば、男女共同参画に関する会議において、どうすれば出生率が上がるのか議論していることがわかる。しかし大真面目であればあるほど、そのシュールさが際立ってしまうのだ。

このような場面描写の数々は、作者が周囲への観察を絶やさず、ちょっとした違和を敏感にキャッチする中で浮かび上がったものだ。そのおもしろさが、水上の〈霞が関詠〉の特徴の1つであると思う。

 

 

コスモスの結社内同人誌「COCOON」に掲載された最近の作品から。

あしたのジョーみたいに頭垂れ眠る昼休憩の予算係長

(ルビ:頭=かうべ)

「耳の淵」 「COCOON」10号(2018)

 

省庁において予算に関わる仕事というのは、ここまで人を消耗させるものなのか。否応でも「燃え尽きたぜ…真っ白にな…」の絵が浮かぶが、まだ「昼休憩」つまり午前中の時点でこの疲れようであること、さらに「係長」という職位からは調整や実務の苦労がうかがえ、「あしたのジョー」一発勝負ではなく歌を読むための情報がちゃんと配置されていることにも注目したい。

 

*本稿は「歌壇」2016年12月号に寄せた『水底の月』書評「〈真顔〉の職場詠」をベースに加筆修正しました。

北山あさひの踊るテレビ局 その3(余談)・職場詠あつめ003

北山の職場詠について2本書いた。残りは、「忘年会」の歌を引いたうえで、すこし余談。

kujirai-kanako.hatenablog.com

kujirai-kanako.hatenablog.com

 

一生の仕事ではなく、だとしたら途中から樹になっていいかな

北山あさひ「アイスコーヒー」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)

 

前の記事で北山の歌が「途中で曲がる」話をしたけど、今度は「途中から樹に」なっちゃったよ。というのは置いておいて。

「一生の仕事ではなく、」という初句から、反対側にある「一生の仕事」が浮かび上がる。「一生の仕事」とは何だろうか。ものすごく勉強して免許を得て行う仕事や、代々の家業を継ぐ運命にある人、などを想像した。「一生の仕事」と決めて働くひともいるかもしれないけれど、「一生の仕事」に就いているほうが偉いと(さらに言えば、「自分にしかできない仕事」を目指すべきだと)、だれが決めたのだろう。そんな気持ちが滲んでくる一首である。だったらもう人間もやめて樹になっちゃいますけど、というあっけらかんとした宣言は、やけくそなのにすがすがしい。

 

北山には大学病院で働いていた期間があり、その時期の歌について前の記事で紹介した。人が職を変わることはごく当たり前のことだ。ただ、通り過ぎた職であっても、その後、その人が短歌を作るときに、かつて得た知識や感覚が生かされることもあるのだと私は思う。それはとても豊かなことではないだろうか。

 

シムビコートタービュヘイラー吸いながら咲けと願う冬の気管支

(ルビ 咲け=ひらけ)

北山あさひ「銀メダル」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)

 

シムビコートタービュヘイラーとは、喘息治療に使われる吸入薬の商品名。喘息の症状は気管支が炎症をきたして狭窄することで起こる。寒くて咳が出て辛い日に、気管支が広がることを願いながら吸入薬を吸っている。二句目までを貫くシムビコートタービュヘイラーの響き、喘息で喉がヒューヒューと鳴るときの苦しさを思い起こさせはしないか。ちょっと苦しくなってきた(喘息経験者)。

北山は弾性のあるカタカナの固有名詞を定形に突っ込むのがうまいので(ジャン=ポール・エヴァンとか)、薬の名前をたくさん入力していた前職の経験がなくても、患者としてこの薬に出会ったときに歌にしていたかもしれない。でも私はこの歌に出会ったときに、やはり、職歴と短歌の語彙の関係を思わずにはいられなかった。

 

職場詠は「この職業についた生き方」を歌い上げるものとは限らない。

私は職場詠を読むことが好きだけれど、職場詠をあつめるうえでの興味は「◯◯さんは✕✕の仕事に就いているんだなあ」ということではない、ということを、この場を借りて書いておきます。

 

超余談。シムビコートタービュヘイラーにはブデソニドというステロイドが配合されている。北山が「短歌ホスピタル」の巻頭に寄せたエッセイ「医療の仕事の楽しみ方」に、薬の名前を擬人化したRPG風ストーリーが出てくるのだけど、ブデソニドは〈ステロイド王国の若き王子〉として登場したプレドニゾロンの、従兄弟かもしれないな、と思った。

北山あさひの踊るテレビ局 その2・職場詠あつめ002

前回、北山あさひの職場詠(テレビ局/大学病院治験部門)について書いた。

kujirai-kanako.hatenablog.com

 

昨年末、北山が1年間の「まひる野」掲載歌などを集めたネットプリント「忘年会」を出したので入手した。

9月に起こった胆振東部地震が記憶に新しく、地震発生時のテレビ局を題材にした歌がいくつかある。いい歌だと感じたのち、「いい歌」として鑑賞していいのか迷ったが、2首取り上げる。

ぐらぐらと揺さぶられつつなんでかな半笑いの中腰でわたくし

揺れていますスタジオも今揺れています揺れてもきみは喋り続けよ

「火の車」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)

前回の記事で、連作「報道部にて」に登場する〈観察〉と〈体感〉について書いたが、前掲の1首目は〈体感〉の歌である。突然の揺れに襲われた自分が、とっさに「走って逃げる」「何かの下に隠れる」といった避難行動を取ることができなかったことを詠んでいる。驚きや戸惑いは「半笑い」となって現れ、身体のほうは立つでも座るでもなく「中腰」で固まってしまった。感情・身体のいずれも〈途中〉でポーズ(PAUSE)していることを描くことで、揺れの瞬間をうまく伝えていると思う。

 2首目は〈観察〉に基づく歌。地震のニュースを伝えている最中にも余震に襲われるが、揺れていてもアナウンサーは喋り続けければならない使命がある、とひとまず読むことができる。この歌は意味としては上の句がアナウンサーのセリフで、下の句は地の文(便宜上、本人のセリフとする)に分かれるのだが、実際に読み下すときは、以下の青字の部分から突然、声が変わる感じがしないだろうか。

揺れていますスタジオも今揺れています揺れてもきみは喋り続けよ

 上の句はアナウンサーのセリフだとわかることから、揺れを感じながらもつとめて冷静に伝えようとする平板かつ均一なトーンで(さらに画面の向こうから)脳内に再生されるのだが、「きみは」以降、太い、感情のある肉声が耳元で聞こえて、びっくりする。

 

職場詠とはすこしずれるが、北山の歌は、「大きい道路を歩いていたら突然交差点が現れて曲がる」「材質が突然変わる」みたいな変化がいきなり起こることがあるのだが、これもその仲間だなと感じた。

夕焼けて小さき鳥の帰りゆくあれは妹に貸した一万円

「短歌研究」2014年9月号(第57回短歌研究新人賞候補作「グッドラック廃屋」)

蝦夷松のあそこに私のたましいがひっかかってるけどそれでいい

カニと餃子」『ヘペレの会 活動報告書vol.1』(2018年)

 

このネットプリント「忘年会」の末尾2ページ半にわたって掲載されていたのが、書き下ろしエッセイ「胆振東部地震の日のこと」である。自分の勤務先がテレビ局であり、仕事が時間計算係(ルビ:タイムキーパー)であることを紹介したうえで、地震発生時のテレビ局の時々刻々を、するどい人物描写とともに伝えていく。終盤の一部を引用したい。

こういうとき、テレビ局というのはひとつの島みたいだと思う。現実の惨状とは切り離されて、高揚し、一体となり、溌剌としている、奇妙な島。

北山あさひ「胆振東部地震の日のこと」 ネットプリント「忘年会」(2018.12)

 

このあと北山は、停電している家に帰宅したところまでを伝え、「短歌を読みたいとか作りたいとかは、一秒も思わなかった。」と結んでいる。

 

うう。長くなってしまったので3つめの記事に続きを書きます。

 

*「いきなり曲がる」感じについては、平岡直子さんが「日々のクオリア」で北山さんの歌を取り上げた際、冒頭で書いていたことが、近いのかもしれない感じました(くわしくは下記リンクで)。

歌にバックドアがあるような不思議な感覚にとらわれる一首。入り口以外の出入口があり、そこからはこの歌以前にはみえなかった景色がみえる。

平岡直子「日々のクオリア」(2018.10.3)砂子屋書房ホームページ

sunagoya.com

 

希望を持ってもよい、という希望―錦見映理子『リトルガールズ』評

 

リトルガールズ (単行本)

リトルガールズ (単行本)

 

年末、旅行の道中に読んだらあまりの良さにぼおっとしてしまいしばらく言葉が出てこなかった。

 

第34回太宰治賞を受賞した、錦見映理子の小説デビュー作。 

相模湾に流しちまった語彙をなんとか拾い集めてツイートした内容から、以下、再構成します。

 

多視点による語り-登場人物は多いのか?

本作には、中学生の「桃香」と桃香が通う中学校に務める教師「雅子」の2人をメインに、桃香の両親、友人、雅子の同僚の教師、など彩り豊かなキャラクターが登場する。彼らの視点が入れ替わりながら物語が進むことが、特徴の一つと言える。

 

登場人物が多い、という感想があることを耳にしたけれど、私は多いと感じなかった。

それは、一人ひとりの顔だちや振る舞いがはっきりと浮かぶ、造形や描写の確かさがあるからではないだろうか。

明らかにヤバみのある「行人」や絶対仕事できるけどいい加減やろっていう「早瀬」(いるんだよなこういうカメラマン)にもどこか愛着を感じてしまう。血肉のかよった人物であると思う。

 

さらに、ある特定の(特殊かつ狭い実在の)街が舞台であることも、立体的な交友関係を描き出すのにうまく働いていて、説得力を生んでいる。

(いわゆる「世間って狭いね」現象が起きているんだけど気にならなかった) 

(「ある特定の街」がどこかは大きなネタバレじゃないけど、伏せます)

 

これは「何の話」だったのか?

この物語が手渡してくれるものは、

生きることの肯定、

芸術へのゆるぎない信頼、

そして何よりも、多様性を認め合う世界への希望、

だと私は思う。

いろんな出来事があり、以前より格段によくなっているけれどもやっぱり駄目だ…と落ち込むことも多かった2018年の最後に

〈多様性を認め合う世界への希望〉を持ってもいいんだ、という希望を感じることができた。うれしかった。

(これを書いている1月4日現在は、パイ投げの広告にまた若干傷ついているけれども)

 

文体の心地よさ、描写の美しさ

文体は今っぽい口語も多用していながら品がよく、親しみやすい。読み手を脅かすことなく、すっと入ってくる。もう言ってしまえば、読みやすい!!!(説明放棄)

そして描写の美しさと巧みさにも触れておきたい。終盤、179ページ冒頭からの雅子の視点による風景の描写は白眉。

 

志村貴子さんの装画もよく合っていて素敵だった。コミカライズされたら最高じゃないのって本気で思う。心の機微をていねいに紡いだ『こいいじ』とてもよかった。(掲載誌「kiss」にて先日完結。みごとなエンディングでした)

 

これから読むのは『めくるめく短歌たち』(書誌侃侃房)。「NHK短歌」連載時(連載時のタイトルは「えりこ日記」)から好きだったんだけど、文体の心地よさはなるほど同じものだったのかと今気づきました。

めくるめく短歌たち

めくるめく短歌たち

 

 

北山あさひの踊るテレビ局 その1・職場詠あつめ001

ことあるごとに北山あさひの短歌が好きだと公言しているが、

なかでも職場詠は、北山のよさが生きるジャンルだと思っている。

 

震度7震度7!」と叫んでる桜田そんな声が出るのか

これやばいこれはやばいよ日テレの独占だよってお前黙れよ

まひる野」2014年8月号「報道部にて」

 

札幌市内のテレビ局における2011年3月11日から14日までを詠んだこの連作で、

北山は第59回まひる野賞を受賞した。

前掲の2首では、震災という非日常によって発見された同僚の一面を題材としている。

「そんな声」が出た「桜田」は、ふだんはあいさつの声なども小さいのだろう。

災害時に興奮を隠せないテレビパーソンの業を伝えてくる。

 

こうした観察のみならず、連作には自分の身体感覚を詠んだ歌も出てくる。

一枚のFAX抱いて駆けて行く 字幕を作る 津波が来ると

訓練になかったこんな真っ暗で長い廊下がんばれがんばれ

津波という甚大な危険が迫っている。

一刻も早く字幕をテレビに映さなければならない。

文字通り「警鐘を鳴らす」仕事が、テレビの現場にはあるのだ。

 

行ったことはないのだけれど、テレビ局の廊下はきっと

入り組んでいたりものが置いてあったりして、見通しもよくないのだろう。

「こんな真っ暗で長い廊下」を息を切らせて走るなかで

下の句は必然的に破調になる。

 

「報道部にて」にはこのように〈観察〉と〈体感〉の両方が繰り返し現れ、

それが独特の臨場感につながっている。

 高揚する同僚を〈観察〉しつつ、自身の〈体感〉もまた高揚していたことを描き、

この作品で北山が言いたかったことはもちろん、

「自分は冷静で、周りが見えていた」ということではないはずだ。

 

その後の北山には数年間、大学病院の治験部門で働いていた時期がある。

ベーリンガー・インゲルハイム社うららかに入力マニュアルが役立たず

シクロホファミドの袋を御守りのように思いき素人であれば

息を吐き、吐ききりカルテは途絶えたりそこから先はあなただけの森

「短歌ホスピタル」*1 2015年「秋とALIVE」

 

1首目、2首目では製薬会社、薬剤などのカタカナの固有名詞を

積極的に定形に盛り込み、

〈素人〉の立場で見たものを率直に詠んでいる。

北山の当時の仕事は、2首目の結句で「素人であれば」と内省しているように

医療資格をともなう業務ではなく、患者と直接会うことはない。

しかし、3首目などに滲む「見えない患者」への心寄せが

連作の魅力を下支えしていることには注目したい。

 

人は職業に「やりがい」「自己実現」といったものを求めたがるが、

それはある種の虚飾や欺瞞なのかもしれない。

北山は「この仕事を選び取ったわたし」をべたべたと語ったりはせず、

職場という小さな社会を淡々と、切れ味よく描写し続ける。

だからこそ、「自分の持ち場で真剣に働き、お金を稼ぐこと」の尊さが、

逆説的に浮かび上がってくるように思う。

 

年末に最新のネットプリントを入手したので、のちほど続きを書きます。

 

北山さんのブログはこちら

北山あさひのぷかぷかぷー

 

*本稿は「六花」vol.2(六花書林、2017)に寄稿した「怯むことなくー北山あさひ論」をベースに加筆修正しました。

六花 vol.2

六花 vol.2

 

 

*1:鯨井可菜子・山崎聡子が企画し、医療の現場に身をおく7人の歌人たちに作品を依頼して制作した1回限りの短歌雑誌。短歌作品のほか、エッセイや精神科医2人による対談、Q&Aコーナー、評論を収録。執筆者は以下(肩書は当時):小原和(薬学生)、小原奈実(医学生)、北山あさひ(大学病院治験部門勤務)、香村かな(看護師)、田丸まひる精神科医)、土岐友浩(精神科医)、龍翔(臨床心理士

ごあいさつ

 鯨井可菜子です。

「かばん」会員を経て現在は「星座」という結社に所属しています。歌集が1冊あります。

そういえば今年でやっと歌歴10年です。

タンジブル (新鋭短歌シリーズ2) (新鋭短歌 2)

タンジブル (新鋭短歌シリーズ2) (新鋭短歌 2)

 

 

ここ2、3年でときどき歌集評の依頼をいただけるようになり、

興味が自然と職場詠・職業詠に向かってしまう自分の癖に気づきました。

せっかくなので、ちょっと集めてみたいなと思っています。

もちろんほかの歌も読みます。

 

f:id:kujirai_kanako:20190102171352j:plain

写真は福岡の母が群馬の実家に送ってくれためんたいこです(ふくや)。

さっき、昼食にみんなで食べてきました。

贈答用のめんたいこは品があって粒立ちがよく、やはりおいしい。まちがいない。

(ということでわたしが一番食べたかもしれない)